Section 1.1 情報学を学ぶ背景
現代社会では、インフラ、経済、行政、医療、教育など多くのシステムがコンピュータを使って構築されている。 人間は日々それらのシステムを利用して働き、学習し、他者とコミュニケーションを図るなど、コンピュータの恩恵を享受して生活している。
そうした様相を指して、現代社会を情報社会や情報化社会というようになって久しい。 現代社会の情報化を述べた最初期の著作としては、世界的にはMachlup(1962)[8]、日本では梅棹(1963)[1]、林(1967)[4]、増田(1968)[5]が知られている。 民俗学者の梅棹は、“情報を組織的に提供する産業”を情報産業と呼び、人間の社会で情報産業が果たす役割を指摘した。 梅棹が初代館長となった国立民族学博物館は、現地では日常的に使われるありふれた物品を世界各地で蒐集し、一ヶ所でまとめて閲覧できるよう展示することで新たな価値を生み出すことを目的としており、博物館を情報産業の一つとして認識する梅棹の思想が反映されている。 また未来学者の林は、官僚として勤務した経験から、農業社会や工業社会に続く社会は“情報が価値を生む”時代の社会であるとし、この社会に情報社会という名称を与え、情報社会の到来を予言した。 このように、日本の学界や経済界が社会における情報の役割を認識した時期は、世界的に見ても早かった。
だが、「情報」は最近になって初めて生まれたわけではない。 有史以来、人間のコミュニケーションでやりとりされていたのは常に情報であり、さまざまな新たな情報を見出し活用することで、人間の社会は発展してきた。 特に近年、コンピュータの開発に代表される技術の進展により、インターネットやSNS、スマートフォンなどで、以前にもまして多くのコミュニケーションがなされている。 その結果、コミュニケーションで生じる人間関係の問題が注目されるようになり、コミュニケーションの底層にある「情報」に多くの人が着目するようになった。 こうして情報が「発見」され、情報に対する人々の意識や関心が高まったことが、現代社会が情報社会といわれる由縁である。