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Section 2.3 主観性

表現\(\alpha\)と内容\(\beta\)の対応づけは常に同じとは限らず、人それぞれ異なりうる。 人はそれぞれ、生まれてから今までに得た知識や、育った環境、考え方が異なる上、同じ人間でも、その日の体調や気分などにより、この対応づけは変わりうる。 どのような符号化を行うか、つまりある内容をどのような表現に表現するかは、内容を表現する人ごとに異なっており、絶対的・客観的に決まるわけではない。 同様に、どのような復号を行うか、つまりある表現をどのような内容に理解するかは、表現を理解する人ごとに異なっており、絶対的・客観的に決まるわけではない。 表現や内容が行為者の主観により決定されるというこの性質を、符号化や復号における主観性(subjective)という。

Subsection 2.3.1 客観性と主観性

定義 2.5. 客観性と主観性.
表現\(\alpha\)を誰が復号しても同じ内容\(\beta\)になるとき、表現\(\alpha\)は客観性(objective)をもつという。このとき、生命\(i, j, k, \cdots\)について次が成り立つ。
\begin{gather*} d_i(\alpha) = d_j(\alpha) = d_k(\alpha) = \cdots = \beta \end{gather*}
表現\(\alpha\)が客観性をもたないとき、表現\(\alpha\)は主観性(subjective)をもつという。

曖昧さのない記述が要求される法令の条文や、厳密な定義によって理論を構築する論理学数学などの科学は、できるだけ高い客観性のある表現を用いることが求められる。 また、特定の図形と音の組において復号した結果が一致する確率が高くなるブーバ・キキ効果(Bouba/Kiki effect)[39]のように、一部の表現については、客観性が高くなることが知られている。

音(おん)象徴の一例とされる現象で、まず図2.7と図2.8を被験者に提示する。 そして、図2.7と図2.8のうち、どちらかが「ブーバ(Bouba)」、他方が「キキ(Kiki)」という名前であると伝える。 その上で、どちらが「ブーバ」でどちらが「キキ」だと思うかを、被験者に回答してもらう。
2.7. 図形1
2.8. 図形2
このとき、どちらが「ブーバ」でどちらが「キキ」になるかという回答は、被験者の母語によらず、大きく偏ることが知られている。 これは、図形1,2を復号した結果が多くの人で一致しているため、客観性が高くなる表現の例だと考えられる。

Subsection 2.3.2 符号化と復号の主観性

実際には、客観性の高い表現は稀で、大抵の場合は人により符号化や復号の結果は異なる。

2.2節で、「菖蒲」という文字を見た\(A\)さんは植物のショウブを想起すると述べた(\(d_A(\text{菖蒲}) = \text{🌱}\))。 だが、「菖蒲」という漢字には「しょうぶ」と「あやめ」の2通りの読み方があり、「菖蒲」に当てはまる植物には、サトイモ科のショウブ(図2.11)[38]とアヤメ科のアヤメ(図2.12)の2種類がある。 また、「菖蒲」として一般的に知られているのは、アヤメ科のハナショウブ(図2.13)である。 そのため、同じ「菖蒲」という漢字を見ても、\(A\)さんはショウブを想起し、\(B\)さんはアヤメを想起し、それぞれ別のものを思い浮かべるということが生じうる。

2.11. ショウブ
2.12. アヤメ
2.13. ハナショウブ

従って、「\(A\)さんの内部で形成される内容(\(d_A(\text{菖蒲})\))」と「\(B\)さんの内部で形成される内容(\(d_B(\text{菖蒲})\))」は異なりうる(\(d_A(\text{菖蒲}) \ne d_B(\text{菖蒲})\))。 たとえ\(A\)さんと\(B\)さんがお互い「通じ合え」たり、「共感」したりしているように感じても、それはお互いに、相手にとっての内容が自分にとっての内容と同じだと思い込んでいるだけであり、実際には両者の内部で生じた内容が異なることが多い。

復号の主観性が生じる原因は、人生経験や周辺環境、体調や精神状態などの後天的なもの以外に、先天的な感覚の多様性によるものもある。 例えば、色覚の多様性により区別して認識しやすい色が多くの人と異なる場合、赤色と緑色など、特定の色の識別が困難である。 また、感覚過敏や共感覚(synesthesia)を有する場合には、文字や音に対して色や温度を感じたり、明朝体の文字に刺激や苦痛を感じたりすることがある。

Subsection 2.3.3 コミュニケーションにおける主観性

また次に示すように、\(A\)さんがある内容\(\beta\)を符号化して\(B\)さんが復号した場合に、\(B\)さんが元の内容\(\beta\)を得られるという保証もない。

2.16.

\(B\)さんが復号した内容が\(\beta\)とは異なるとき、一般的に「誤解(misunderstanding)が生じた」という。 「誤解」は「解釈を誤った」という意味だが、このときに解釈した側の\(B\)さんに責任があるとは限らず、\(A\)さんの表現に問題がある可能性もあれば、どちらにも非がないのに通じなかった可能性もある。